• Jay B A

プロフィール
Singapore在住(Singapore国立博物館・アジア文明博物館両館ドーセント)日本在住時(代ゼミ数学講師、スカパー旅チャンネルナレーター)日本生まれ日本国籍。代ゼミで30年教えた後、2008年~海外に移住、現在は個人授業で日本人や英米人その2世達に数学、英語を日本語または英語で教えています。”もっとプロフィール”から私の動画サイトに進めます。ぜひ覗いて見てください。最後に長文がありますが読んでくださいね。
・J School 数学・英語のYouTube動画 https://www.youtube.com/channel/UCd4_oWQWcV-JGxACx769LTA/playlists
・Podcast https://stand.fm/channels/60560a7f2b49b926c8196d93
講義情報
30コマ
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ジェイ先生の「今さら聞けない中学数学 Step 0(ゼロ)」【超基礎編】 30コマ

中学数学 約3時間07分

中学数学の超基礎をマスターする講座です。

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2021-04-03 30コマ追加

・J School 数学・英語のYouTube動画
J School の再生リスト(https://www.youtube.com/channel/UCd4_oWQWcV-JGxACx769LTA/playlists
・Singaporeb歴史文化と飼い猫(ほとんど猫)のYouuTube動画びびSingapore (https://www.youtube.com/channel/UCBU_3FcuakwWeuVBPNZ7MUA/featured
・J Schoolのインスタグラム j_school_math_english_cat(https://www.instagram.com/j_shool_math_english_cat/
・塾猫びびのインスタグラム jamesbrianadachi(https://www.instagram.com/jamesbrianadachi/
・本 (順次追加)(https://raffles.xsrv.jp/js-books
・Podcast https://stand.fm/channels/60560a7f2b49b926c8196d93
1990年頃、友人に誘われてあるロシア人夫妻に英語を教えるボランティアをSan Franciscoで行なった事があります。ソ連が崩壊し国を離れ米国に逃れてきた二人でした。老夫婦でしたので上達は遅く、手応えのないLessonが続きました。英語が米国で生きていく為に必要なことは二人にも分かっていたので授業は続いたのですが、1年経っても成果は乏しいものでした。事情があり彼らは他の街に越して行き、その後の消息は知りません。
自分は10代からバックパッカーだったので、実に色々なところを旅しました。ロシアの老夫婦を教える10年ほど前ですから、1980年頃冬のヨーロッパに2か月旅行した時、ドイツのあまりの寒さに挫けスペインに避難しました。そこは全くと言っていいほど英語が通じず彼の国にネガティブな印象を深くしたまま帰国しました(当時は日本へ)。その後まもなく、学生時代からの親友の考古学者に会いに初めてメキシコシティを訪れる機会がありました。そこも全く英語の通じない世界でしたが、身近にラテン文化に触れると言う機会を得たことでその後中南米に年に2回バックパッキングするという大きな大きな方向転換がその時起こります。
しばらくして自分の考えは次の様に変わって行きます。「以前スペインで色々とトラブルがあったのは自分がスペイン語を話さないのが最大の原因ではないのか」と。そこで少し真面目にスペイン語を学び始めたのですが、やはり英語に頼ってしまいあまり上達しません。ラテンアメリカ訪問も20回を超えた頃グァテマラの田舎アンティグアをふらっと訪れた際、運悪く内戦が悪化し国境が閉ざされ身動きが取れなくなってしまいました。そんなときある中年の夫婦が自分を匿ってくれ離れの小屋をアパートとして貸してくれました。確か3食付きで1泊US$3。2ヶ月お世話になりました。もちろんそこはあたり一面スペイン語の世界です。なにしろインターネットの無い時代ですから、短波放送しか英語の情報はありません。いやあ~上達しましたね、スペイン語。何しろ複文や重文が作れるようになったのには自分自身驚きました。では、ロシア人の老夫婦と自分と何が違ったんでしょう。。色々考えました。年齢、能力、必要性の違い… 年齢はさておき能力、必要性に関しては大した違いは無かったと思います。自分はその理由についてある確信を持っています。その老夫婦は「アメリカが好きじゃなかった」のではないでしょうか。彼らはソ連は良かった、社会主義は良かったと時々呟いていましたから。米国が嫌だとか資本主義が嫌だとは言っていませんでしたが、何十年も暮らして来た社会から全く違う原理で動くシステムに放り込まれたやるせ無さがきっとあったのだと思います。英語の発音がどうの文法がどうのと言う事ではなく、どうしてもアメリカを好きになれなかったのでは無いかと思います。
『学ぶ』ことは自分で人生を切り開いて行くには必要不可欠のものです。これは真実です。私の意見ではありません。真実です。しかし、好きで無いものを学ぶのは苦行でしかありません。人は好きなもの興味があるものを学ぶとき脳内にはセロトニン、ドーパミン、そしてオキシトシンが大量に出るそうです。「幸せを感じるホルモン」ですね。「じゃあJay、苦手で嫌いな科目を好きになるにはどうしたらいいの?」・・・これは質問の仕方が間違っています。しかしそれにあえて答えれば、「自分自身で考えなさい。自分自身で色々と工夫して見なさい。でもいい方法は見つからないかもしれないよ。」がっかりしたかも知れませんが、これは真実です。でも次の様な質問なら具体的に答えられます。「じゃあJayは苦手な科目を好きになるために何をしたの?」自分は子供の頃から算数が大好き、理科も大好きな少年で中学に入っても数学が大好きでした。ところが高校2年生の時にどう言うわけか文学や歴史に夢中になり数学の授業は上の空、なんとテストで26点(赤点!)を取りびっくり。そこでどうしたかと言うと、数学の勉強は・・・やめました(!)。理由は、参考書を見ても問題集をやっても何言ってるかさっぱり分からなかったからです。ストレスが溜まるばかりなので、勉強は・・・一旦やめました。じゃあ何をしたかと言うと、数学者の伝記や社会人向けの数学や科学の啓蒙書を片っ端から読み漁りました。それは、”なぜこの人達は数学者や科学者になったんだろう?どうやって金を稼いで生活していたんだろう? この人達は一体何者だったんだろう?”と言う自分の素朴な疑問を解決したかったからです。いくつかの事を発見しました。皆、「気になる事」があってそれを自分自身に説明したいんですね。スッキリしたいんです。ああ、これは自分も同じだな。同じ匂いを感じました。「うーん、やはり数学は面白そうだ。」本当は宇宙の果てとかに興味あったんですが、まずは数学をやってからにするかと始めたらこの歳になってしまいましたが(笑)

自分の辿った道はこうです。
学校の数学が分からなくなった→好きじゃない→勉強一旦やめる→数学の周辺事情、数学者について知らべる→数学の世界に興味を持つ→数学と数学者が「気になる事」になる→17歳の少年にとって「気になって気になって仕方がない事」になる→思いっ切り易しい問題集を猛然と始める→問題数の少ない難しい問題集を3回繰り返す→大学を受ける。落ちる→予備校に1年通う。猛然と勉強する→理学部数学科に受かる

以上は一種の成功例です。しかも私の個人的な出来事です。
”とても上手くいった人の話”というのは実は参考になりません。それが自慢話ではなく控えめのものだとしてもあまり参考にはなりません。理由は、人それぞれ”事情が違う”からです。そうであっても、他人の話は広く多く聞くべきです。それはその人を知ることになると同時に自分自身を知ることになるからです。なぜこの人の話は心に響かないのだろう?なぜこの人の話に共感できるのだろう?・・・これを繰り返して行くと自分自身が何者なのかが次第にクッキリしてきます。人生で最後に頼れるのは自分自身です。自分で考え、悩み、迷い、上手くいったり失敗したりしながら自分で答えを見つける力をつけてください。嫌いな科目は結局どうにもならないかも知れません。しかし、好きなるきっかけが身近にあるのにその機会をみすみす逃していませんか。学校の授業だけが勉強ではありません。苦手なら思いっ切り薄い易しい問題集に変えてみてください。無料の動画もいっぱいあります。多くの先生の話を聞き比べて合う人を探してください。その科目でも、その先生でもどこかの研究所のニュースでもなんでも良いので「あ!?これ好きかも。この人いいかも。」と思えるチャンスは決して少なくはないんです。嫌いは苦行。好きは快感。世界はまだ知らないことで満ち溢れていますよ。

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